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体験談,学校教育の体験談

祈りと愛行に徹する“生長の家の教育法”

2015年1月17日  

中学校教諭 咲山智美さん(40歳・仮名)

不登校児A君との出会い
中学2年生のクラスに不登校の男子生徒、A君がいました。
彼は、中学校に入学後部活動に励み、友達の中でもリーダーとして活躍し、元気に学校生活を送っていました。
そのA君が、友達関係のトラブルがもとで学校に行けなくなりました。中学2年生の1月のことです。
4月になり、私は3年生のクラス担任を受けもつことになり、A君が私のクラスになったのです。
前学年の担任の先生よると、本人との連絡は取れない状態だったそうで、いつも父親と連絡を取っていたそうです。

祈りの実践と行動
早速、祈りの生活が始まりました。
「A君は神の子です。A君が最もよい人生を歩みますよう、どうそ神様お導きください」という言葉を、毎日、心の中で何度も唱えました。
学級開きの日には、学級通信と自己紹介の手紙をもってA君宅を訪れました。
A君に会いたかったのですが、その日は、A君は姿を見せませんでしたので、家の人と話をして帰りました。

4月21日のことです。それまで、電話をしても、受話器を取ることのなかったA君が電話口に出てきました。初めてA君と電話を通して話をすることができました。

「もしもし、A君ですか。初めまして。今度君の担任になった咲山智美です。よろしくお願いします」
「はい」
「これから、家庭訪問することも度々あるけど、その時は会ってくれるかな」
「はい」

弱々しい声のA君でしたが、連絡を取り合うことの確認ができた嬉しい日でした。

A君宅への家庭訪問
家庭訪問は1週間に1度は必ずしました。また、担任をした1年間続けました。
職場から自宅へ帰る途中に訪問することがほとんどでした。玄関に出てくるという約束はしたものの、最初は会えない日も多くあって、そんな時は郵便ポストに学級通信と手紙を入れて帰りました。

A君に繰り返し伝えたことは、次のような内容です。
「A君、今、君は学校に行ってないけれどそんなことは気にしなくていいよ。人は、無限の可能性を宿しているから、毎日何か前進しているのよ。今の自分をつまらない自分だと思わないでね。時期が来れば必ず登校できる日が来るから、大丈夫だよ」と、神の子であるA君を信じて積極的なコトバ※を使い励まし続けました。

※コトバについて
谷口雅春先生著『生命の實相』第1巻より
「生長の家」では必ずしも耳に聞こえなくともエーテル波動(ラジオ等)でも思念波動でもすべて波動を指して、コトバというのでありますがわれわれの実践生活のうえでは思念と発声音と表情とが最も重要な、善かれ悪しかれわれわれの運命を左右するコトバになっているのであります。(中略)

そこでわれわれは思念と発声音と表情とを実生活の上にいかに応用するかが、切実な問題となってくるのであります。
われわれは、自分の言葉の使い方一つで、心の持ちよう一つで、表情一つで、今まで暗く不幸であった日常生活が明るくもなれば、幸福にもなり、今まで病弱であった身体が健康にもなれば、常人以上の精力を発揮することができるようにもなり、衰えていた運命の開拓も徐々に意のままになって来るのであります。(同書 24~25頁)

A君が登校、さらに高校へ
A君は、その後、少しずつ変わりはじめ、自宅から出られるようになり、夏休みの前の頃には、「心の談話室」という退職校長が中心になって運営している不登校の生徒たちを支援する機関に通うようにまでなりました。
更に、高校受験前には別室登校もできるようになるまで回復しました。

結局、教室には1回も入ることはできなかったのですが、その年の春、地元の県立高校、定時制普通科に見事合格しました。
その後、高校に元気よく通っているようです。
A君との出会いを通して、“祈り”と“愛”を実践する“生長の家の教育法”の素晴らしさを改めて実感しました。

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