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体験談,学校教育の体験談

問題児は優良児

2015年1月17日  

小学校教諭 今井貴士さん(49歳・仮名)

A君との出会い
私は教師として必ず実践すことが二つあります。
一つは、自分が担任する学級の子供たちの写真と名簿を前にして、毎日、子供達の実相(本当の姿)を想い、幸せを祈ることをしています。
もう一つは、どの子供にも「神の子」※の良さが宿っていることを伝えるために美点を認めてそれを言葉で褒め讃えることです。
そうしていく内にいつしか、どんな問題児と言われている子供も問題児ではなくなってくるのです。

※神の子
谷口雅春先生著 『生命の教育』170頁

まず、子供に教えよ。彼自身の生命の尊さを。 - 人間の生命の尊さを - そこには無限力の神が宿っていることを。展(ひら)けば無限の力を発し、無限の天才をあらわし、彼自身のためのみならず、人類全体の輝きとなるものが彼自身の内に在ることを教えよ。彼をして彼が地上に生命を受けて来たのは、自分自身のためのみでないこと、人類全体の輝きを増し、人類全体の幸福を増すために神が偉大な使命を彼に与えてきたのであることを教えよ。

これまで多くの「神の子さん」たちとの出会い、さまざまなドラマを生んできましたが、 その中でも忘れることの出来ないのがA君との出会いでした。

A君はADHD・LDの問題児?
A君と出会ったのは彼が2年生の時でした。
廊下で会うと鋭い目つきでこちらを睨み、とても子供とは思えないような言葉を浴びせてくるのです。授業中には、彼が大声で叫ぶ声と担任の先生の怒号が毎日のように聞こえてきます。
友達に対する暴力も半端ではありません。
そのような生活態度ですから学習面でも他の子供たちより遅れが目立ち、いつしかA君は、ADHD(注意欠陥多動性症候群)・LD(学習障害)というレッテルを貼られるようになりました。
職員会議でも話題に上り、いつしか「来年誰がA君を担任するのか?」ということが先生方の間で囁かれるようになりました。
もちろん担任しようという勇気のある先生はいませんでした。

「生長の家の教育法」の実践
私は、思い切ってA君の担任に名乗りをあげました。
「どんな子供にも神の子の実相が宿っている。A君の実相円満な姿を観るんだ!」
そう決意を新たにし、次の年度はA君のクラスを受け持つことになったのです。
私は、例年通りクラスの集合写真を前に、毎日神想観※の実修の中で神の子の実相を礼拝しました。

※神想観:生長の家独特の座禅的瞑想法

ただし、A君の写真だけは特に大きく笑顔の素敵なものを選んで。
始めの頃は担任が男の先生ということもあってか、おとなしくしていたA君でしたが、慣れてくると次第に以前の姿を現して罵声や暴力を振るうようになってきました。
私は、「先生は大人だし男だから、多少、君に殴られても大丈夫だけど、友達を殴ったら許さないぞ!」と約束をしました。

彼は意外にもその約束を素直に守ってくれました。やはり始めから“問題児”という子供はいないのです。心から発した言葉は必ず相手に届くのです。
新年度が始まって一ヵ月程経った頃、A君の顔からあの鋭い目つきが消えてきました。 理由はいくつかありましたが、特に大きなきっかけは、A君が授業中、ときどきぶつぶつと呟く「お経」に私が気付いたことです。

ある日の放課後、私がそのお経のことをA君に聞くと、「おばあちゃんが、ぼくが良くなるようにといつも仏壇で唱えている」というのです。
私は、「それは般若心経だね。先生は全部言えるぞ」といって暗唱してみせたところ、「先生すごい!」といって感心してくれたのです。それから徐々にA君の態度は柔らかくなっていきました。また、A君が描く絵がとても個性的で上手なことも発見し、絵を描くたびに褒めてあげました。そして、いつしか絵画展で入選するまでに上達したのです。

「生命を礼拝する教育」のすばらしさ
A君は確かに「普通」という観点から見れば「変わってる」子供でした。
でも、「神の子」=絶対善の主体という観点から観ると、無限に豊かな個性の一つをもった子供だったのです。
それを認めてくれる大人がいなかったから彼は暴れたり叫んだりしてもがき、問題児という仮の姿を現していたに過ぎなかったのだと思います。
今、彼は得意な絵とスポーツで他の友達以上に活躍していると聞いています。
今まで出会った教え子たちも、これから出会う子供たちも、みな神縁ある子供たちだと私は信じます。

だからこそ、その尊いご縁に感謝し、「神の子」の生命を礼拝する教師という聖職に誇りをもつとともに、多くの人に「生命を礼拝する教育」のすばらしさを伝えていきたいと思っています。

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